*巳代治と末松のお腹ネタについてはこちら 情操教育




鐔のない刃



 それは単なる「欲望」だった。
 ただ欲しい、と思った。
 子供が店の前で動けなくなるのと同じだ。
 特に何の目的もなく、ただ欲しいとそう強く。


欲しい物を手に入れるために、何を躊躇うことがあるだろう?



***


「閣下・・・、この短刀、随分古いんですね」
 机の中も上も女関係と同じように自由奔放な伊藤博文が投げ出した片付けを体よく押しつけられていた巳代治がいったん手を止めてそう言った。
「うん?あぁ、それね。それはちゃんと中に、入れといて。なくさないように」
 なくさないようにも何も、四次元空間と化した引き出しの奈落の奥底に追いやっといた本人がよく言えたものだ。
 巳代治ははいはい、と言いきちんと引き出しの中を整理収納し始める。
 しかしその古い、全身黒の小さな短刀が何故か気になった。
「ねぇ閣下。これどうしたんですか?」
 仕事机が利用できるまで大人しくソファーに寝っ転がって書類に文字通り目を通していた伊藤は少しだけ遠い目をした。
「別に・・・」

「別に、なんですか」
「だから別にそんな大層なものじゃないって」
「だって閣下が、珍しいじゃないですか。」
 もちろん志士時代の伊藤が焼き討ちや暗殺をしたり一時でも奇兵隊や力士隊に所属していたのは巳代治だって知っていたし、明治の世になってからは念のために短銃も置いていた。しかしやはり伊藤にそういうものは似合わないと素直に思うのだ。
「それに、これ、随分趣味が良いです」
 黒一色、たったそれだけなのに、落ち着いた色合いも形も、それこそ伊藤に珍しい。
「何、それは僕の趣味を疑っているというの」
 そう言うわりに伊藤は先ほどと違って、少し、本当に少しだけ微笑んだ。

「昔、木戸さんにもらったんだよ」
 
 それ以上伊藤は何も言わなかったし巳代治だって聞くつもりもなかった。
 趣味が良いだなんて言ってしまったことを若干腹立たしく思ったが、なによりも純粋にいいな、と思った。
 短刀なんて特別興味なかったし、必要だって感じてなかった。
 そんなものよりも、欲しいものや美しいものはいくらだってある。
 けれど。



***


 一体あの日からどのくらい時間が経ってからその短刀が手許に届いたのかは憶えてない。正直言うと半分以上忘れていた。
 しかしいったん手に取ると、あの日に強烈に感じた"欲しい"という率直な感情が蘇ってきた。
 金地の合口拵。持ち手部分は上質な乳白色、細かな装飾も、つけた。
 でも決して派手な印象ではなく、合口拵の全体が一体化した緩やかな曲線美も相まって、控えめで、けれど目をひかれるかなりの逸品に仕上がっていた。
 巳代治はご満悦で、しばらく手にとって一人静かな歓びに浸る。

 あぁでも、まだだ。

 一瞬で射貫かれるほどに欲しい物というのは、たいていこの手に触れた瞬間全てが色あせていくものだ。
 まだ不完全だ。物は文句のつけようがない。しかしまだこの短刀の輝きは色あせない。

 明日まで、待っててね。

 夜空に浮かんだ月を眺めて、こっそり呟く。



 本当の本当に最高の物に仕上げて、
 そしてそれから、
 この手にいれるから。
 


***


「すーえーまーつーさんっ」

 次の日、いつものように伊藤の部屋に向かった巳代治は、部屋の中にお目当ての人物を見つけて思わず笑みが漏れた。まぁ、もちろん事前に調べはつけてあるからそれほどの喜びではないが。
「・・・なに、随分機嫌いいじゃん」
 伊藤が疑うような目でるんるんと末松の側に寄った巳代治を見る。末松はいつもとかわらず、にこにこしたままで嫌な予感がするほど無邪気にすぎる笑顔の巳代治の頭をなでてやる。

「ふふーん。ねぇ末松さんほら、これ見てください」
 そうして巳代治はあの短刀を取り出した。昼間の明るさの中では、夜の浮かび上がるような美しさとはまた違った、それは周囲の光を吸収し特殊な屈折率で拡散するような美しさを放った。
「きれいだね」
 末松は差し出されるそれを手にとって、感心したように色々眺める。言葉には出さないその感心が巳代治には心地いい。
「何それ短刀?へぇどうしたのお前が・・・何の、ために?」
 机の向こう側で伊藤も少し身を乗り出す。しかし語尾が不信の二文字にゆがんだ。

 きたな、と巳代治は心の中でほくそ笑んで、お気に入りの末松のお腹に手を回し、にっこりと伊藤に向かって、一番の笑顔を。

「だって、やっぱりこういう人ならざる神秘なお腹を開くにはそれ相応の物じゃないといけないかなーって、作らせたんです。
 ね、末松さんも気に入ったでしょ?」
 小首をかしげられて尋ねられた末松はうんうんと頷いた。そうして巳代治の手許に短刀を戻してくれた。

 何を考えてるのかわからないけど、別にわからなくたって困りはしないし、やっぱりけんちょは好き。

「あ、そういえば切れ味とか試してないや・・でも血とかついたら切れ味って悪くなりますよね」
「うん、ちゃんと手入れしないとね」
「じゃぁいいや、試し切りなしで。あれ、試し斬り、かな」
「巳代治!!!」

 そう言いつつ鞘から刀身をするするとのぞかせようとした巳代治に向かってペンが飛んできた。ふいと身を右に避ければそれは末松のお腹にぽてんと当たって床に落ちる。

 いつの間にか机をまわって二人のすぐ側に来ていた伊藤に伸び上がっておでこをべちっとされた。

「だからお前はもうっ、何度言ったらそういうことやめてくれるの?!末松のお腹を刺したり斬ったりしちゃだめだっていつもいつもいつもいつも言ってるだろ?!」
「えぇーまたですか?折角末松さんのお腹のために作らせたのにーっ」
「たのにーじゃないしまたとかそういう話じゃないから!この日本帝国が続くうちはダメだから!」
「でも閣下、これ折角・・」
「ダメったらだめ!ほらこっち来て座りなさい!」
 はぁああとため息をつきつき伊藤は巳代治の両腕をぱちんとやって短刀をしまわせると、そのまま腕の引きずって自分の椅子に座らせた。どうやら末松から距離を確保したかったらしい。

「お前が短刀持ったりするのは別に悪い事じゃないけれど、いい?そういう目的に使わないの」
「どうしてもダメですか?」
「ダメだよばか巳代」
「んん・・・じゃぁ、閣下、代わりに巳代治のお願い聞いてくださいよ」
 何?と伊藤は複雑な笑顔で聞き返した。その反応が、巳代治には面白くない。今はそれが都合良いとはいえ、何にせよ、けんちょが絡むと、途端にこうなんだから。閣下は。

 甘やかされてるのが誰かはよくわからないまま、巳代治は心の中でそれこそ顔に作っている以上に唇を尖らせた。
 でも、あともうすこし。


「これ、ください閣下」


 そしたら大事にするので、末松さんのお腹に使うのはやめときます。と付け足した。
 伊藤は巳代治をじっと見てから、その手にある短刀をとってしげしげ眺めた。
 しばらく眺めて飽きたのか、それとも元々それほど興味もなかったのか、重さを確かめるように二三度手の平で遊ばせて、それから机の上にあった一群の資料の上にそれをおくと、資料ごと巳代治の腕にどさりと落とした。座らせた巳代治の頭に手をおいて、かがみ込むようにして言う。
「午後の閣議までに、まとめろよ」

 それはつまり、最悪昼には持ってこいと?
 本日のスケジュールを頭の中で反駁した巳代治は一瞬秘書官の顔で伊藤を見据えた。
「そしたら、ご褒美」
 その非難がましい視線から少し顔をそらして、そりゃそうだ明らかに伊藤が自分で割り振った仕事のはずなのだから、伊藤は資料の上の短刀をもう一度取り、巳代治の胸ポケットにそれを差し込んだ。

 こちらが欲しいと思ってる時点で、交渉においては全面的に敗者。

「承知しました」
 にこりと笑って言ってやると、伊藤も口元をあげた。胸元の重みが心地よかった。



 巳代治は立ち上がって、資料を抱えて末松と一緒にいったん伊藤の部屋を出る。
 日射し差し込むこの国の真ん中で、多分今から部屋でカバンに短刀を突っ込んだ後は仕事に没頭して、夜には短刀のことなんてすっかり忘れているだろう。


 もしあの刃を抜くようなことがあれば、きっとそれは。


 そこまでぼんやりと思考が伸びたけれど、それ以上は考えなかった。




鐔のない刃、合口拵


 きっとそれは、貴方を殺したいほど憎んだそのとき一回きり!






・・・・・・・・・・・・・

細川展からの妄想ずるずる・・・
巳代治の短刀とか私が妄想せずに誰がするよ!使 命 感(...)

木戸さんから伊藤に短刀とか贈ってたらなお萌えるよね・・・!
もちろん伊藤はそんなこと巳代治にしないので、こういう話になりました。
巳代治は平気でこれ閣下からのプレゼント~とか言って色々買ってるんだぜ。
リアル病んでる。そんな奴が大好きでどうしようもない←
ご一緒してくださったaktさんの
「巳代は閣下が好きなのか閣下が好きな自分が好きなのか」
というお言葉が胸に突き刺さっております(しらん)
ちなみに私は巳代治が好きというより巳代治が好きな自分が好きでsry




んでここからは本当にどうでもいい妄想ですが
巳代治がこの短刀抜いたのは伊藤死後がいいなと思いました。
あんな風に逝っちゃって、あいつは絶対伊藤を憎むタイプだと思うのですよ。
はぁ貴方にもう会えないとか貴方がもういないとか真剣意味わかんないんですけどなんなのバカなの死ぬの死んだのみたいな。
んで本当に殺してやりたいとか思って唐突に思い出して刀身抜いてみたはいいけど、
そのめちゃくちゃ強い願望だけはどうしたって叶わないの思い知らされて
なんかどうしようもなくなる巳代治とか良くないですか私は良いです。(し ら ん)
・・っていうことを妄想した、本当に駄文。


抜けない鞘


読み物 / 2010.05.29

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