裏切り者に慰めを



1

「・・裏切り者っ」
 いつもにこにこと愛想良く笑う彼にしてはあり得ないくらいの悪意と憎悪に満ちた言葉を白い息とともに吐き捨てると、伊藤はそのままどこかに走り去ってしまった。
 高杉はそんな伊藤を理解不能とばかりにぽかんと見送り、高杉の横で極度の疲労の中にいた山県もやはり何もできずそれを見送った。

臆病者腰抜け弱虫陰険味噌徳利xxxx・・・

 伊藤と目が合った瞬間、その表情から次に出るあらゆる罵詈雑言を一通り思い浮かべてはいたが、「裏切り者」と来るとは思わなかった。
 まぁ何を言われようと否定する必要も気力もないが。
 高杉の無謀な功山寺決起に奇兵隊を預かりながらも動かなかったのは山県であり、少数の力士隊を率いて単身それに従った伊藤にどれほど非難されようと、返す言葉など見つからない。
 それはたとえ奇兵隊以下諸隊を動員し、陸地の激戦をくぐり抜け高杉たちと合流を果たすにいたった今も、おそらくこれから先も、変わることはないのだろう。



 
2

「・・・んで、なぁにをお前はそんなにふくれてるんだ?」
 数多の傷跡が生々しい井上聞多が珍しく素直にぶっすーという効果音つきで不機嫌なオーラを全面に出している伊藤を振り返った。
「・・むっかつくなぁ・・・・」
「ほう」
「前々からむかつく奴だったけどさ・・なんか、も、ホントむかつく」
「んで誰が」
「きょ・・・・山県」
 あえて苗字を呼び捨てにするあたり八方美人の伊藤の怒りを物語る。
「なんだ、あいつが動かなかったの、怒ってんのか」
 そこで井上はけらけらと笑おうとして、どこぞの傷が痛んだのかひきつった声をあげた。
「・・そうだよ」
「まぁそう怒ってやるな・・結局こうして一緒に戦うわけなんだしよ。しかもあれだ、実際・・」
「そんなことわかってるよ!」

 あまりの無謀さが幸いしたのかこれも実力なのか、案外あっさりと押さえる場所を押さえ、そしてその無謀さによってその後にらみ合ったまま動くに動けなくなった高杉たちに代わって、奇兵隊以下決起に参加しなかった諸隊が藩庁の上士らと泥沼のような戦いを繰り広げた。

 言葉を遮った伊藤の頭をぽんぽんと叩きながら、井上がやれやれとため息をつく。
「わかってるなら、いいじゃないか」
「よくない、僕が怒ってるの、そういうの関係ないもん」
「難しい奴だな・・・じゃぁ、なんだ」
 伊藤は唇をとがらせながら、そしてどこか遠いところをきっとにらみながら、つぶやいた。
「・・逆らったじゃないか」
「あ?」
「あの高杉さんに逆らったじゃないか」
 井上はしばらくこの困った親友の言い分を理解しようと努力して、あっさり諦めた。
「それは・・だなぁ、まぁ、性格って言うか、重さっつーか」
 もとより慎重の上に慎重を重ね、石橋をたたいても渡らないと言うあの山県が、賭としかいいようがない決起に、それも奇兵隊を預かる身でありながら軽々しく参戦すると言えないのはごく自然の成り行きであろう。責めても、仕方のないことだ。
  高杉だってそれはわかっているはずで、だからこそさっさと説得を諦めて自分一人で舞台に挑んだ。
「仕方ねぇですむかは知らんが、仕方ねぇことだろ」
 仮にその場で山県が動いたとして、果たして以下の隊士がどれだけ高杉を信じられたのかもわからない。
「仕方ないさ。奇兵隊が何人いるのかは知らないし、何人いたってどうでもいいよ。奇兵隊が動けば諸隊も動く、実際戦うのは彼らだ、そんなこと全部わかってる。もし僕がどこかの隊の隊士で、高杉さんのことをよく知らなかったなら、こんな決起にほいほい参加するような幹部がまともだとは思わないよ!」

 あの高杉だから、側でパシられてきた身だから、高杉ならやれると思った。
  たとえ死んでも彼のためならいいと思えるくらい、高杉がすごい人物だと認めていたからこそ、伊藤は一見して希望の見えない冬の夜に馳せたのだ。
  そんな気持ちは、他の人間にわかってもらえくていい。むしろわかってもらえない方がいい。
  それは自分と高杉の関係に対する、自負心だ。

 でも、そうじゃない。

「俊輔、何を焦ってる」
 井上がぼんやりと伊藤の顔をのぞき込みながらつぶやいた。焦ってなんか・・と言いつつ、伊藤は井上から顔をそらした。
「・・・思ってたんだ」
 座ってられない、と言わんばかりに、伊藤は足を揺らした。


「でも、どこかで僕は あ い つ なら動くと思っていた。高杉さんだってそう思ってたから山県のとこに来たんだろう、奇兵隊を実質握っているとか、そんなんだけじゃなくて。自分の頼みを狂介が本当に断るはずなんてないって」


「ずっと誰かの後ろについているだけの人間だと思ってたのに」




 高杉に頼まれて諸隊の幹部が待っているという部屋に行くと、明かりがぼんやりとついているだけで物音一つ聞こえない。
 伊藤が少しいぶかしげに思って中をのぞいてみると、そこでは数人が戦装束をほどくこともなく、おそらくすぐに高杉に呼びつけられたのだろう、互いに寄りかかってぐったりと目を閉じていた。中には目を開けた人間もいたが、入ってきたのが伊藤とわかると再び暗闇の世界に戻っていく。
  全身に染みついた血と砂埃、そして戦の匂いが狭い部屋の中に充満して、戦場とまごうばかりの静かな空間。
  しかしそこには戦場では決してあり得ない安堵感と倦怠感が漂っている。
 隊士の疲労ぶりは散々見てきた。いつ終わるとも知れず、連日死と弾に隣り合わせの中をかけずり回り、ようやく高杉という一種の、そう、彼らにとってはもはや一種の奇跡のもとに入ったことで、ほんのかすかにつながっていた彼らの緊張の糸は完全に切れたようだった。
 そんな中でも、ここにいる"将軍"たちはこんな様子をちらりとも見せなかった。次の戦に向け、隊士を休ませ軍を整え作戦を練り直す。戦いはまだ終わっていない。それが、何ら自分と変わりない人間の命を預かる、人間のあるべき姿。

 伊藤は先ほどの自分が言い放った言葉とその時の光景を思い出していた。こんな状況で、さてあいつに生きて再会したらなんて言ってやろうかと思っていた。
 それを当然のように高杉の横で、作戦を詰めている姿を見てしまったから。
  思わず言うだけ言って、そのまま逃げてきた。滅多にないけれど、どうしても感情が抑えられそうになかったから。
 それと同時に、今は伊藤の言葉を無表情に聞いていた山県も思い出す。厳密に言うと無表情じゃなくて、あれは無表情のことも多いからよくわからないしわかりたくもないけど、おそらく、疲れ切っていたんだ。立って走って、戦のことを考える、それ以外のことに割く何かを持ち合わせるほど、生半可な戦いをしてきたわけじゃないのだと。
 
 もう少しすれば伊藤じゃなくて高杉が来る。きっとそのときは全員ちゃんと覚醒するだろう。
 わがままなあの人について行くためには、待ちぼうけだって必要だ。
 束の間の休息、自分の身体がかろうじて支えきれる、自分一人だけの命の時間。
 完全に眠りの世界に入っているであろう太田、足を投げ出している三好、その横で小さくうずくまっているのは山田だろう、そして部屋の隅でもたれ合っている時山と山県。
 浅い呼吸も炎のはぜる音にかき消されて、部屋はいよいよ暗かった。




「・・桂さん、帰ってくるかな」
 今までの何か切羽詰まったような険しい声音からいっぺん、しゅんとした声でつぶやく伊藤。
 よくわからんな、と思いつつ、井上がもう一度うつむいた伊藤の頭をわしわしとなででやった。
「おぅおぅ、桂さんはな、高杉が何かしたときは、必ず来てくれるからよ」
「・・・それ、慰め?」
「お前俺様の言うことが信じられねぇってのか」
 伊藤はそこで顔を上げ、傷だらけの井上の顔をじっと見つめる。
 そうしてまたいつものようににこりと笑って「聞ちゃん」と無意味に抱きついてくるのだった。



 信じること、信じられること、信じさせてくれること。
  この乱世で、一番か二番に重要なこと。


 だから、それを裏切るような奴は、大嫌い。
  今も、これから先も、ずっと。






3

明治17年

「ってことで内務卿よろしくー☆」
「断る」
「僕が洋行から帰ってくるまででいいからさー」
「ヤダ」
 一瞬の沈黙。
「この小輔ちゃんがっ!!」
「たかだか利輔が」
 椿山荘の茶室で伊藤が片膝をたてて山県と睨み合う。
「その利輔がさ、わざわざヨーロッパまで憲法の勉強をしにいくってときに、ちょっとくらい働けよ!」
「俺は今で十分忙しい」
 遅々としてまとまらない軍人勅諭を思い、
「これ以上内務卿だと・・しかもお前の後釜なぞ絶対ごめんだ、断る。誰かに適当に押しつけろ」
「参議にはあれほどなりたがってたくせに」
「・・・嫌だ」
「お前はお使い頼まれた小学生かぁああっ」
 畳をべしべしたたいて伊藤が突っ込むも、山県はどこ吹く風。
「いいから僕の言うとおりに引き受けなよ!」
「何で俺がお前の言う通りにせねばならん」
「人の気遣いは黙って受け取るのが筋ってもんだろう」
「仕事を押しつけることのどこが気遣いだ」
「気遣いさ」
 伊藤の声が一瞬真剣味を帯びたので、もちろん今までの会話も本人たちにとってはしごく真剣なつもりだったのだが、山県はちらりと伊藤を見やって、その目だけは笑ってない複雑な笑顔を見た。
「少しくらい慰めてあげようと思ってね」
「お前の慰めなど・・」
「後ろにつくべき人間がいなくて、寂しそうだったから」
「・・・は、お互い様だろう」
 山県の返答が鈍くなる。伊藤はそんな山県をじっと見て、そして、嘲笑うかのように短くため息をついた。

「あのね、僕はもう、いらないの」
 まだ新しい畳の目に影を落とす、白い日の光が差し込む。


「もう、追いかけることも振り払われることもそれをなくすことも」






「ないんだよ」



 しばらく山県は伊藤を計るように見つめて、そうしてやるせなしといった怒った口調で答えをつきつけた。

「俺を後釜にしたことを、後悔させてやる」
「楽しみにしてるね」
 伊藤はそれを聞くと、にやり、と、幕末のころには決して見せなかったような意地悪い笑みを浮かべ、満足そうにおじゃまさまと言い捨て押しかけたときと同様我が物顔で帰って行った。


 後に散々伊藤を悩ませる山県閥の多くの人材を、山県はこの内務卿・内相時代に得ることになる。




・・・・・・・・・・・・・・・・・


伊藤と山県。オチがないとかしらねーよ私はこの二人が好きなんだ好きなんだ!
伊藤の山県に対する思いって多分こんな感じ。

政友会結成のあたりで2人は周囲を固めた正真正銘真正面の前面衝突に至るわけですが、そのときから伊藤のガタへの態度が思いっきり硬化したっていう話聞いて、なんか伊藤の中ではなんだかんだいってガタはあくまで長州閥の一員で、どこかで自分より立場が下だって言う暗黙の何かがあったのかなとか思ってみた。
もちろん表面上はガタは陸軍とか官界にも勢力広げてるしいちいちつっかかって喧嘩もすれば妥協もしたし協力もして対等なはずだったんだけど、あくまで、2人の間でのね・・幕末からそれまでの、とくに政界での伊藤と山県っていう立ち位置になんかそーゆー微妙な力関係があったと。
だからガタが本当のホントに自分にたてついたっていう、しかも正面切って
唯一ともとれるほど、始めて全力で追い落とすべきいわば14年時の大隈みたいな存在になったっていうこと、
裏切り、って感じたんじゃないかなって。
(実際はガタ自身がいわゆるガタ閥に振り回された感も否めないですが)

高杉に一瞬とは言えたてついた狂介と、自分の地位を揺るがす対立派閥のボスとしての山県と。

自分が信じてたガタと違うっていう変化が気にくわなかったんじゃないかなぁ。
つまりはガタのこと信じてたいって気持ちの裏返しですがwwww


私の妄想と願望わかりやすすぎる。お粗末さまです。




読み物 / 2010.02.27

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