いったいどこでどういう時にどういう気分でどういう流れでそうなったのかなんて全然覚えていないけど、末松が椅子に座り込んでいるのを見つけた。


安.ら.か.に


「末松さん」
 巳代治はその場で向きを代えて、末松に近寄った。
 ここまで疲労困ぱいの末松を見るのは始めてだった。ちょっと痩せたかもしれない。いいことだけど。


「大丈夫ですか、お疲れまくりですけど」
 とっさに顔を上げ、目の前の人間が顔見知りの同僚であることを確認する。
「みよちゃん・・」
 末松はそう言いながら疲れた顔にいつもどおりの笑顔を作った。それがもっと疲れを色濃く映しだしたから、巳代治は少し顔をしかめる。



 漸く伊藤の国葬が終わった。正直、失礼な話だが、やっとという感じだった。
 突然の暗殺。何の用意も準備もあるはずがなく、何もかもが宙ぶらりんの状態で、気づけば一ヶ月が経っていた。



 精神的なものか身体的なものかは知らないが、巳代治も相当気だるさを感じていた。これが、井上馨と共に中心役をになっていた末松ならすべての面で比べようのない疲労だろう。
 まして井上と末松はあまり折り合いも良くない。
 政府や宮中の方は首相桂や山県が中心に担っていたが、掛かりきりというわけにもいかないし、くだらないこととは言え彼らにはしがらみも体面も多い。



 とにかく全ては突然だった。



「疲れたね」
「そうですね」
 巳代治が顔をしかめたことに気づいたのか末松はぼんやりと腕を伸ばして巳代治を抱き寄せた。特に反抗もせず、されるがまま末松の腕の中に収まった巳代治の頭を撫でて、
「切っちゃったね」
髪、と末松が言った。今更、と巳代治は曖昧な発声で返事をしない。
「・・ねぇみよちゃん」
「なんです」
「・・・疲れたね」
「言いたいことがあるなら、どうぞ」
 末松が苦笑して(実際は肩に頭を預けてるので見えないけど)、迷うかのように、けれどもはっきりと、つぶやいた。
「わかってるんだけどね」
「はい」
 末松はちゃんとわかってる。どこまでが我慢できる範疇で、どこからが捌けなくてはいけないのかを。

「でも」
「・・・」
「勝手に悲しんでくれちゃって、」
「・・けんちょ?」
「・・・・僕らの、家族なんだけどな」

 巳代治は少しばかり驚いて身を起こそうとしたが、できなかった。
 末松はそれきり他に何も言わないし、仕方ないから巳代治もそのまま黙ってそうしているしかない。


 それは少しの嫉妬。

 夫人や井上に比べれば、それはそれは自分たちの喪失感なんて実際大したことないのだろう。悲しみや親愛は数字では測れないかもしれないけれど、人はきっと無意識に機敏にその重さを感じ取る。
 だからこそ人の死は長くて重い。もし自分だけの重さに耐えればいいのなら、もっとこの世は生き易い。
 誰も何も言わなかったけど、あの日山県と大隈の隣に並ぶ人間はいなかった。
 結局はそういうものだった。結局あの二人は黙って並びあうことになった。
(はたから見てたら笑えたけど)
 笑うことなんてできないのだ。


「僕らの閣下でもあるのにね」
 しばらく経って末松がそういいつつ巳代治を離した。
「・・・『ミヨの』閣下です」
 あぁなんだか久しぶりにこんなことを言った気がする。本当はこれっぽっちも信じちゃいないけど。
「そうだね」
 そこで末松がいつもみたいに笑ったので、巳代治もやはりいつもみたいにお腹をごすっと殴っといた。


それは嫉妬。子供の嫉妬。




REST IN PEACE.
Don't worry, we can do our best.
But then who would worry about us?




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こんなけんちょがいてもいいと思った。
第二世代の嫉妬。と喪失の危機感。
特に末松とかカネケンとかミヨとか、伊藤の個人的な直系門下は
そういうの感じてたらいいと思う。
でもその不謹慎さに、余計上の世代に気を使わなきゃいけなくなる無限ループで
疲労しちゃうとかそんな感じ。



読み物 / 2011.08.11

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