名にしおはば
伊東巳代治の"辞退"は申し分なく礼に乗っ取ったもので、さすがこの若さながら長らく政界の最前線に立ち続けた落ち着いた対応であった。
山県次期首相は、その返事を聞きながら目を閉じて考える。片隅で、次の候補者について。片隅で、こうして何度も相対してきた目の前の彼の変化について。
山県が巳代治と二人で話しをするとき、それはほとんど、伊藤の考えであり伊藤の言葉であった。
今、彼の口から語られるのは彼自身についてであって、山県が聞かんとしているのも彼の考えである。
ゆるゆる、ゆるゆると。
誰も何も言わなくても、こうして確実に、時代は下っていく。
「どうしてもやらんか」
「お話ししたとおりです。申し訳ありませんが、」
「あるいは」
しかしそれはそれは恐ろしく、遅々としたスピードで。
「・・・気兼ね、でもしているのか」
「閣下は関係ありません!」
あえて目的語を省けばあっさり崩れる虚勢。そうか、と山県はそれ以上言わない。
先の第3次伊藤内閣が発足して間もなく、蔵相井上馨と農相伊東巳代治が板垣の入閣を巡って対立した。
首班の入閣は、首相の命を受けた伊東巳代治が水面下で行った自由党との提携工作の、最後の最後の詰めであった。
しかし結果的にその首相伊藤は板垣入閣を拒否した。自由党の離反よりも、閣内不一致を恐れてだと言う。
それはそれは見事な"抗議"辞表だったぞ、と井上は笑いながら言った。
健康を理由とした辞表はあっさりと受理され、後任には同じく伊藤派の金子が就いた。
結局裏切られた自由党は進歩党と巨大政党憲政党を出現させるに至り、伊藤内閣に真っ向勝負を挑む。総辞職に追いやられた伊藤は最後に大博打を打ち、世に言う隈板内閣を置き土産に野に下った。
史上初の政党内閣は猟官闘争と党内不和により憲政党と憲政本党に分裂、一度も議会を経験することもないまま、山県にお鉢が回ってきた(というより、回された)というわけだ。
どうせならいっそ政党内閣のまま、議会紛糾の苦労を、政党の未熟さを思い知ればよかったものを。
10年近くも前のあの記念すべき第一議会を思い出しながら、それでも認めざるを得ないその存在。山県は思う。
だがしかし、まだあんな口やかましいだけの政党にこの国を任せられるほど、時代は進んでいない。
......そうして、こっちもだ。
山県はため息を押し殺しつつ伊東巳代治を見やった。ここで崩れるくらいの虚勢ならば、はるんじゃない。
しかしこのまま手放すのには、惜しい才能。
育ちつつある第二世代の、時代もまだ少し先の話。
***
それで、文句をつけるべきは、彼ではなく彼の上司だ。
この伊東巳代治が扱いづらいことは、更に扱いが面倒な伊藤の言づてを持った巳代治に何度も乗り込まれてきた山県とて百も承知だが、あの師匠お墨付きの「周旋家」は、何故自分と部下の間すらまともに周旋できないのか。
世の中には、変えていくべきものと、なるべく変わらないように努力すべきものがある。
伊藤が前者ばかりを見て、山県が後者ばかりを見ているのも、知っているが。
どだいこうなることなどわかっていた話。
昔々よりなんやかんやと言いながらも常に側において、自分の仕事にひっぱりこんで、ただの一秘書官から閣僚にまで登らせたのは、全て他でもない伊藤。
あの桂太郎までもが、こいつらの「仲違い」についてそれとなく話をする。
(だから俺にどうしろと?)
いちいち腹立たしい、自分の周りで、己の目の届く範囲で、そうも騒がないで欲しいと思う。切に思う。
そしてそれにもまして腹立たしいのが、何故自分がこうして「政敵」伊藤の尻ぬぐいというか、身内のもめ事というのか、身内なんてものじゃないのか自分もその身内なのか(寒気がする!)、とにかくそのケアをしてやらねばならないのか、それが。
誰も頼んでいないと言われるだろうから、言わないが、こうしてこつこつと人知れぬ手前勝手な恨み辛みはたまっていって、恐らくいつか。
その時、目の前の彼が一体どっちにつくのかまで、山県は責任を持つ気はない。
***
「枢密院」
「・・・・」
「顧問官だ。やるか」
「・・・・」
「その年で引退する気か」
「やります!」
伊藤へのお伺いを立てないのは彼なりの反抗。
上出来だ。山県は唇の端だけで満足を表す。
ここでもしきちんと伊藤を立てられるだけの器であったなら、今のウチに封じ込めておこうかとも考えたかも知れない。
彼が伊藤の蓄音機とでも思ってくださいなどと単身堂々乗り込んできた時分から、こんなにも世界は、時代は大きく変わったのに、己の周りの本当に小さな円の中は結局何も代わっていない。
顧問官に推薦したのが自分だとわかれば、しかもその前に閣僚に打診したなどと知れば、そのうち愚痴の一つ嫌みの一つでも言いにくるだろう。
ちょうどいい。首相というのは多忙なものなのだ。
そして伊藤は首相だろうがなんだろうが用事があれば人を呼びつけてなんとも思わない様な奴だ。
全部たたきつけて拒否してやりたいが、話し合わなければいけないことが何故かこの数十年の途方もない険悪なつきあいの果てに、まだまだある。
「ならいい。邪魔したな」
「山県さん」
二の句が続かないので、山県は先を促した。
「なんだ」
「・・・・いいえ」
見送りに立つ巳代治の雰囲気が不機嫌そのものだったから、何故山県が自派で完璧に固めている閣僚のポストを、あえて「あの伊東」に持ってきたか察しがついているのだろう。
「損はない」
「どういう意味ですか」
去り際、一言だけ声をかけてやった。
雨はすっかりあがったようだった。
「イトウにとっても、損はないという意味だ」
名にしおはば、(いざ事問わん!)
この数年後、伊藤がまた、政党を起こすのだという話を、山県は巳代治の口から懇々と聞かされることになる。
・・・・・・・・・・・・・・
ガタと巳代治。まさかの(笑)
伊藤に振り回される人たち。挙げ句に振り回す人たちの、代表。
ガタがミヨに農相打診して、断られて、
先の内閣で辞任した手前伊藤公に気兼ねしてるの?って聞いたら
(っていうか聞く?聞いたのかそんなことあの巳代治にwwwガタめww)
自分はもう自由の身になったんだから、
閣下は関係ありません、云々って言ったそうです、ミヨ。
う そ つ け お 前 \(^o^)/
その後結局ガタの推挙で枢院顧問官に落ち着いたそうですが^^
このあたりのガタの構ってあげっぷりはんぱなくないですか・・・?え、もうなんなの。
別居してる嫁とケンカして家出してきた娘(中学生くらい)をしゃぁなく庇って結局嫁に送り届けてやる旦那。
なにこれぴったりすぎて死にそう。←
よいねぇ巳代治の反抗期。
正面切って反抗するなんてまだまだまだまだ可愛い段階だよね!(こいつ)
この後伊藤とは仲直りしたり距離おいたり仲直りしたりの繰り返しで
(でもミヨは許さなかったと思います・・・一回崩れたからには、
その傷の上にいくら塗り固めても、前みたいにはいかなかったんじゃないかと。え、萌える)
その間ガタ閥とはもめたり対立したりもしてたみたいですが
ガタとはそこそこだったみたい・・・
自由奔放な嫁を立てつつどうにか丸め込もうと画策する別居中の旦那と娘(高校生くらry
なんかこういうアメリカンティーンノベルありそうだよね?!あるよね?!^q^
ガタにとって、てゆーか当時の人にとって巳代治はやっぱ伊藤の、だと。
その後政友会発足の際にも伊藤はミヨをガタの説得に当たらせたそうですし。
しかし手紙に
「なんと言っても山縣公はあの石頭だから、十中八九失敗しますよ」(超意訳ミヨ→伊藤)
とか書きながらぜったいすげぇ笑顔でガタのところに乗り込んでいったに違いないぜこいつ・・・萌える。
そして意外にあっさりおっけー出した挙げ句のガタ閥の反抗っぷり。ミヨの身変わりっぷり。ガタの陰険っぷり。愛しいこいつら。
政友会設立時の本、だしたい・・・・←またそんな無責任なことを口走って
読み物 / 2010.07.24