歩幅




 真っ昼間の道中を、数歩の距離を違えずに黙って歩く二人。昼時の気ぜわしい雰囲気とほのかに流れる食事の匂いがだんだん高くなってきた日の光の中に湯気となって立ち上る。
 若い女の笑い声がはじけ、いかにも不満を胸の内にくすぶらせている柄の悪い男たちが日陰で固まっている。いつものような賑やかな町並みだ。
 前を歩く男、木戸孝允が少年に声をかけられたのはそんな平和な一時だった。


「あの、すみません。道をお尋ねしたいのですが」
 見るといかにも走ってお使いに来たと言わんばかりの、まだ10前後の少年が、袖をまくり小さな荷物を肩に結わえていた。紅潮した頬に大きな黒い瞳が健康さを際立たせる。
 どうも年下の人間にはなつかれるたちの木戸は立ち止まって少年の説明をしばらく受ける。
 しかし、どうもそのような店の名前は見た覚えがない。

「見過ごさないような、ね・・」
「えぇ、この道をまっすぐ行くと、大きな看板があると」
「・・・私たち・・・いえ、私はしばらくこの道を向こうから来たけど、そのような看板は見なかったなぁ・・」
 そこでしばらく考えたあげく、
「俊輔」
 木戸は自分の背後に話しかける。
「はい」
 木戸がちょいちょいと手招きをすると、少し後ろで立ち止まっていた伊藤は素直に木戸と少年に近づく。
「・・というわけだけど、お前は見た覚えがあるかい?」
「うーん、いいえ。あんまり自信はないですけど」
 首をかしげながら、自信なさげに伊藤も答えた。
「そうだよね・・、君のご主人は、この道沿いにあると言ったのだよね?」
 木戸ががっかりしたような少年に話しかけると、少年はこくこくと元気にうなずいた。
「この道をまっすぐ、ちょっと行けば、右手に見えると」
 少年の店の話を聞くと、確かに軽く"ちょっと"と呼ばれる距離は超えているようだ。
 木戸はもう一度自分たちの歩いてきた道のりを思い、判断を下す。
「では・・・もしかしたら通り過ぎてしまったのではないかな」
「えぇ、そんなことは、ないと・・」
 思いますけど、と口をもぐもぐさせつぶやく少年の不安げな瞳に、木戸は優しく微笑みかける。
「君の話だとご主人はそれほど適当な人間ではないみたいだし・・。少し、戻りながら他の人にも聞いてみるといいよ」
 よかったら一緒に行こうか、と言おうとしたところで、それまで黙って木戸と少年の話を聞いていた伊藤がぼそりとつぶやいた。

「そのご主人ってさ、その店に馬で行ってたんじゃない」
 あまりに唐突な問に、少年はしばし考え込んだ。
「・・そうです、」
 そうして今度はしっかりとうなずいた。すると伊藤はそう、と言った。
「じゃぁ、多分、もう少し先だと思うよ」
「どうしてだい」
 木戸が怪訝な顔をして訪ねると、伊藤は肩をすくめて言った。
「馬に乗っている人の"ちょっと"って、たとえ多く見積もっていたとしても、実際徒歩の人間の感覚から言うと全然ちょっとじゃないことって多いですから」



 結局少年はもう少し先を見てみる、ということで、木戸たちにぴょこんと頭を下げて再び駆けていった。
 代わって木戸と伊藤は再び歩き出す。賑やかな喧噪、すれ違う女たち、馬に乗った男たち。
「・・俊輔」
「はい」
 自分の数歩後ろを歩く伊藤に話しかけると、少し聞き取りにくかったのか一瞬間を空けて返事が返ってきた。
 もしかしたら今すれ違った美人に見とれていただけかも知れないが。

「・・私が今までおつかいにやったとこ、遠かった?」
 木戸は後ろを振り返らず言葉を続ける。伊藤は今度はぽかんとしたのだろう、再び一瞬の間を空けて返事が返る。
「やだなぁ、木戸さん。さっきの話、気にしてたんですか?」
 けらけらと陽気に笑う声。

「私、怒ったことあったよね、"遅い"って」
「・・・・まぁ、時々」
 二人はずいぶん遠い昔のような時間を回顧する。
「で、でも木戸さんは全然気にする必要ないですよ、遅いからってキセルでこついたり足蹴をくらわしたりしないし、それから・・」
 慌てて言葉を続ける"俊輔"に、木戸はようやく立ち止まり振り返った。

「言ってくれれば良かったのに、お前と私じゃ年も体格も違うし、」
 ずっと小さい頃から側においていたから、二人の間はそういう気遣いのいらない、そんな関係だと思っていた。もともと伊藤は人なつっこいし、木戸だって後輩はかわいい。
「桂先生」
 しかし俊輔はちょっとあきれたように苦笑して見せた。

「"立派な人間は言い訳なんかしない"」
 いつぞや、目の前の人間に浪々と言い聞かせた言葉が無数の人々がすれ違う道の中でふわふわと浮いて木戸の頭の上に落ちた。
「・・・あの頃は・・私も若かったから」
「あの頃僕も幼かったんですよ」
「・・・・俊輔」
「はい」
 そこで木戸はまた前を向いて歩き始めた。
「どこかでお茶でもしていこうか」
 伊藤はちょっと迷ったようで、でも、と続けた。
「でも木戸さん、一人になりたかったんじゃないんですか」


・・・

 出かけると言って聞かない木戸に、ならば護衛をつけてくださいと言って引かない伊藤が
木戸の部屋で延々と押し問答を繰り返す。

「俊輔、私は疲れているんだ、一人にさせてくれ」
「木戸さんがお出かけになりたいというなら僕はとめませんよ、
 このたまっている書類をお帰りになってからちゃんとさばいてくれるんですよね?
 でもだからって一人でそんな町中をうろつくなんて!」
「こんな真っ昼間には若い女の子でさえ一人で出歩いている」
「木戸さんは女の子じゃなくてこの明治政府の母と言われてる方で・・」
「その寒気のする呼び方はやめなさい」
「とにかくダメです、何があるかわからないんですよ」
「その護衛たちを勝負をしてみようかな、どれほど頼りになるのか」
「木戸さん!」
 そこで伊藤はきっと口をつぐんだ。
 もし伊藤が少しも動じず無表情に、そう例えばあの鉄面皮の誰かさんのように、木戸を止め続けるならこちらも打つ手がある。
 しかし伊藤の表情からは心の底から木戸を心配している気持ちと、それが届かない歯がゆさと、ゆらりと目の前をかする"かつて"に心を奪われまいとしている様がありありと読み取れてしまい、すげなく突き放すことなんてできそうにもない。
 それはちょうど悔し涙をこらえている子供のようで、こちらも"かつて"の面影を色濃く残し、木戸の心を揺すぶる。

 押しも引きもできなくなった沈黙の後、伊藤が突然口を開いた。
「じゃぁ僕がついて行きますよ」
「なんだって?」
 木戸が素っ頓狂な声をあげた。
「役に立たない点じゃ、護衛も僕も変わりないでしょ?僕のことは存在しないと思ってどうぞお一人の時間を楽しんでください。」
 なんだかすごく論点をすかされた感じに、木戸は思わずずるりと頬杖をはずしてしまった。
「お前・・何のために護衛をつけるとさっきから・・・、それに、それは一人になったことには・・」
「僕はもう何年も前からずっと木戸さんの後ろについてたんですから、今更気にすることなんかないじゃないですか」
 いいことを思いついたとばかりに、今までの感情の高ぶりをさっさとうち流しふふんと胸をはる伊藤。

 その変わり身の速さに、勢いをそがれるやら疲れさせられるやら、ようやっと承知して、伊藤を従え仕方なく部屋をでたのが少し前。



・・・

 木戸はしばらくそのまま歩を進め、つぶやいた。
「いや、いいんだよ」

 すると伊藤は木戸の半歩後ろ、いつもの位置まで小走りに駆けてきた。
「じゃぁ行きましょう、あっ、この前市とヤジが言ってた店、近くですよ」
 そうしてにっこりと、これもいつものように笑うと、ちゃっちゃとこれからの予定を決め楽しそうに歩き始めた。
「俊輔」
「はい」
 すぐにそう答え、真っすぐにこちらを見つめてくる伊藤。
「"お前は、立派な人間になるのだよ"」
 すると伊藤はいつぞやのようにはーいと返事をし、くすくすと無邪気に笑った。





 暗くなった部屋に戻ればあの忌々しい書類が出たときと同じように残っているだろうから、せめて穏やかな日の光に包まれた今だけは。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

木戸さんと伊藤。 
チャリと徒歩のちょっとじゃ話がちがうだろうがぁ!的な
母との押し問答から生まれた話←

伊藤は木戸さんの半歩後ろ、
高杉には2歩後ろをついて行ってるといいです。
木戸さんは横をちゃんと歩くように言うけれど
伊藤本人がやっぱりどこかで線引きをしちゃうのですよ。
高杉の場合振り返り様に蹴りをくらわされないように2歩後ろ。(笑)

ちなみに山県は高杉の3歩後ろを歩くと妄想。
ちゃんと高杉の周囲と本人の全身が見えるような位置<もち無自覚で、ですよ!
3歩後ろくらいが何かあったとき飛び出しやすいそうですよ。


読み物 / 2009.06.01

▲Topへ