Le Seine 


 イヤリングを落とした―、はたと巳代治が立ち止まったので、西園寺もつられて足を止める。
 振り返ると、左の耳に手を当てて、何とも言えない表情、多分怒りとやるせなさと悲しさと、どうしようどうしようもないという戸惑いのない交ぜになったそんな表情を浮かべていた。


「どこで、なんて、」
「わかるわけないじゃないですか・・」


 せやろねぇ、と西園寺は巳代治の肩越しに今までぷらぷらと二人で散歩してきた道を眺める。
 とうとうと続くセーヌ河に沿って、随分歩いてきた。
 その前は、道順も覚えていないほど適当に狭い小路を手当たり次第物色してまわった。

 
「あぁあ、もう、最悪」
 巳代治は眉をひそめて、右耳に残っていた片方だけのイヤリングを外した。それを手の平の上に乗せ、しばらく眺めているその姿は悪態とは裏腹にやはり少し悲しそうだった。


 二人の横にはセーヌ河が静かに流れている。
 いや、流れているという表現はこの河にはふさわしくない。日本の山から海に注ぐ急で水音が絶え間ない川と違って、この河はあまりにも存在感が強すぎる。今だけでも十二分に大きいのに、対岸に見えるのは実は河の中に浮かぶ島で、本当の対岸はかすむほどに遠いだなんて、知っても知らなくても軽くショックを覚えるほどだ。
 ゆったりとたゆたっている、もしくは、単にそこにセーヌ河があるとだけ言うのか。
 強烈に、すぎる。



「ぇえええ?!ちょっと何するんですか?!」



 西園寺がすっと手を伸ばして巳代治の手から残ったイヤリングを取ったのも束の間、大きく振りかぶってそれをセーヌ河に向かって投げ込んだときはさすがの巳代治も大声をあげた。
 思わず夕闇せまる空中にわずかな光を目で追ったものの、それが河に届いたのか川岸に墜ちたのかすら確認できないまま、消えた。水音なんてものが聞こえるわけもない。
 後で見えるのは、セーヌとその川岸でいちゃついている人間の黒くうごめく影だけ。
 風が、出てきた。水面がさざ波立つ。

「耳飾りとか、落としてむかつくん、1つだけ手許に残ってるからやと思うんよ。
 ・・いっそ2つとも落としてしまえば踏ん切りもつくんを、片割れだけが残ってて、なんや、そういうん」

 二人してセーヌを眺めながら、西園寺が静かに呟いた。
 二つで一つだなんて、そのあり方自体よく考えれば気に入らないのに、まさか片割れだけが手許に残って、それはやはり美しいままで、でも使えない、落としたもう片方がいつまでも後悔を誘う、もうどうしようもないそういった苛立ち。


「思うって・・・それ西園寺さんの理論ですよね?
 あのデザイン、気に入ってたのに。残ったの、タイピンにでもしようかと」

 さしもの巳代治も元気がない声で反論する。イヤリングが消えたあたりからどうしようもないと知りつつ目が離せないらしい。

「鴨川や隅田川に沈むよりかは、本望やろ。」
 Le Seine 、と口の中だけで呟く。
「だから何で沈めること前提なんですか?」
「未練がましい子やね、ほら、行くよ」
 
 どことなくすっきりしたような顔で、西園寺は巳代治の腕を取る。巳代治もため息をつきつつ仕方なく歩き出した。そう、仕方ない、のだ。

「って、どこ行くんですか。ホテルはこっちですよ」

 それでもやはり釈然としないのだろう(そりゃ誰でもお気に入りのイヤリングを河に投げ込まれたら釈然としない)不機嫌に言った巳代治は、取られていた腕をさっと振り払って横の道を指さした。
 西園寺は気にも留めない。しかしおもむろに巳代治のまとめていた後ろ髪に手を伸ばした。

「お買いもんに出てきて、行くときより身軽なんて」

 そうしてその髪をほどいて、癖のついた先を指で軽くほぐしてやる。巳代治は困惑したようにされるがままになっている。

「新しいのつけるまで、おろしとき」

 両の耳を隠すように髪を前に流してやると、事態が飲み込めたのかようやく巳代治もにこっと笑った。今夜のお帰りは予定より遅くなりそうだった。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


巳代治が当り前のようにイヤリングしてるなんて、当り前じゃない。(そんな)
このイヤリングなくした気持ちを表現したかったんだけど、
ちょうどいいのがコイツしかいなかったのよそうなのよ!
映画NINEで、髪を下ろしてあげるシーンがあったの、
是非誰かでやらせたい!と思ってたんだ。まさかこういうペアになるとは思わんかった\(^o^)/


読み物 / 2011.08.11

▲Topへ