ログがちょこちょこ溜まってきたので...
今日3月2日は帝国大学令が公布された日でっす!(明治19年/1886年)
...っていう下書きを書いただけで3月2日が過ぎてしまったので改めて1日遅れでお送りいたします。
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諸々萌えポイントはあるけどとりあず声を大にして伝えたいのは、このとき分科大学制度を採ったので旧東大各学部はそれぞれ「帝国大学法科大学」のように表記されるということです。
1918年の大学令を受けた1919年の帝国大学令改正で学部制度に戻りますので、私が散々騒いでいる頃合いというのは東京高商が商科大学(帝大の分科大学or独立の単科大学両方の意味があります)、(東京帝大法科大学の)経済学科が経済科大学目指しているのですが、結局は商科大学(帝大の分科大学ではない独立単科大学、1918年の大学令に基づく)と東京帝大経済学部(1919年の改正で独立)という結果になるのです。おわかりいただけますでしょうか。至極どうでもいいのですが、どうでもいいからこそあえて説明するのが面倒でかったるい、しかし結構わかりにくいので困っています。
要するに
旧東京大学→学部制度
大学令以前の帝国大学→分科大学制度
大学令より後の帝国大学→学部制度
です。テストには出ませんがもしうっかり何かの拍子に戦前の大学制度について語るときあればかなり詳しい人になれます。確実にドン引かれます。
というわけで帝国大学令公布当時は帝国大学以下(まだ京大がないので東京帝大ではなく唯一の「帝大」です。こういう細かい名称の変遷だけで萌えられるよね~)法科、医科、文科、理科、工科の5分科大学、4年後に農科大学が加わって6分科大学で出発となります。
公布前年に準備段階として東大内部でも色々と改組が行われており、とくに工部省が廃止された結果みんな大好き工部大学校が文部省に移管され、理学部の工芸科と合併する形で工科大学として組み込まれることになります。
工部大学校では教授の抗議辞任があったりなんだかんだ荒れた模様~
そりゃそうだよね...文字通りプライドがあるよね...
規模的にはほぼ同等だったそうですがやはり理学部が若干有利な合併だったそうです。
だからとっても偉そうだよ。もともと偉そうなキャラのつもりだけど。大体の学問は科学と認めない。経済学なんてエセ科学甚だしい。
そもそもが界隈エリートの元工部大学校改帝大工科大学は強い。
だがしかし帝大の中でも理科大学は少数精鋭エリート部隊だったので一目置かれるというこのどっちも強者な感じがすごくいい。
ガチで喧嘩したら色々壊れるからただのお戯れだけど延々分かり合えないといいよ。でも物理的な日本の明日を作るのは俺たちだよ。私こういうの好きです。知ってる。
神田お兄ちゃんs。医学が近寄りたくないコンビ。
大統一理論の名前だけでかっこよすぎて無理。さすが万学の基礎。