重力から解放されたかのようにふわりと体が浮く。あたりは見渡すかぎりの暗闇が続いていて、自分の手すら見えない。

・・この穴はどこまで続いているのだろう・・・

 出口の見えない暗闇の中、木戸が一抹の不安を賢明に追い払おうとしていると、かすかに何かが聞こえてくる。




「これは、・・ワルツ?」




 異国の優雅な調べに乗って、ほのかに混じるざわめき。そうして暗闇の向こうにぼんやりと灯りが灯り始めた。
 夜の街を照らしだすのは、優しい電気の光。
 ぶわりと生暖かい風が吹き付け、木戸は自分が今、夜会が開かれているであろうレンガ造り二階建ての建物の上空をゆっくり舞い降りていることに気づいた。
 建物の周りには馬車が並び、着飾った婦人や気取った紳士、微動だにしない警備のものなどがが行き交う小さな姿が見える。

「うわぁここは・・・まるで異国のような・・・・」

 ゆっくりゆっくり地上に近づいていく木戸は、そこでテラスに出てぷかぷかとキセルをふかしている人物に目を留めた。高いシルクハットを被り片手にキセルと華奢なカップを持って高級そうな服を着崩すその人物のまとう雰囲気はどこか知っているようであり・・・



「・・・・も、聞多!!」


 思わず木戸が大声を上げると、それに気づいたのか井上がひょいと顔をあげる。
 傷がみえかくれするそれは確かに木戸の後輩井上聞多改め馨であった。

「こいつはたまげたな。夜空から人が振ってくるとは」

 とはいいつつあまり驚いたようでもない井上はにやりと笑ってシルクハットのつばをあげる。

「俺の昔の名前まで知ってるようだが、お前さん誰だ?」
「な、私を忘れたとは言わせないよ聞多!あれだけ顔をつきあわせておいて・・」
「さて・・俺には座敷童の知り合いはいないんだがな、もしかしてあれか、英国で見かけたかもしれねー妖精ってやつか」
「ふ、妖精はともかく座敷童なんて・・・っ」

 といいつつ木戸は地表に近づくにつれたしかに建物や人々が大きくなりすぎていくことに気づいていた。
 このまま行くと地面に着いたときには踏みつぶされてしまいそうな・・・

「わわ、もしかして私縮んで・・っ?!も、聞多助けてくれ、このまま行くと地面に落ちたとき踏まれてしまうっ」
「よくわかんねぇが助けてと言われちゃ助けてやらなきゃな」

 そう言って井上はあいている片方の手でシルクハットをひょいとつかむと、テラスの白塗りの手すりからちょっと身を乗り出して、木戸に届くようシルクハットを逆さまにして差し出した。



「この外務卿兼帽子屋の俺様に助けてもらえるなんざ光栄だぜ」


 
 なぜ聞多が外務卿を、ていうか外務卿が帽子屋を兼ねる必要性がどこに、それに一体お前は何様になったつもりなんだ、等の諸々の疑問を飲み込んで、木戸は大人しくそのまま落ち続ける。

 このままうまくいけばシルクハットの中にちょうど縮んでしまった木戸がすっぽりと収まる。


はずだったのだが。







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