ぐるぐる回る視界の中にぼんやりと白いウサギの耳が揺れている。はっと気づいた木戸は頭をふりふり、必死にそのウサギの耳に手を伸ばす。なぜだろう、足は遅くないはずなのに、なかなか前に進まない。
それでもなんとか精一杯腕を伸ばし、そのウサギの耳を・・・つかんだ!
「いったたたたたたた!ちょっと何するんですかぁ!!」
ウサギの耳の持ち主、桂がじたばた暴れているのを、木戸は両耳をきゅっと頭の上で束ねて押さえつける。
「何するんですかはこっちの台詞だよ!人のものを勝手に持ち出したあげくこんなヘンテコな世界に連れてきて!」
「人聞き悪いですねぇ、貴方が願ったことでしょう、」
「私が何を願ったって?」
木戸が少し手をゆるめたのを幸いに、器用に耳を折り曲げその呪縛から逃れる桂。
「それに残念でした。今僕は時計を持っていません」
「何だって!」
自分が何を願ったのかはさておき、驚愕して桂の空の両手を見つめる木戸。
「じゃぁ私の時計は何処に・・・あれは英国で買ってとても気に入っていたもので・・・」
「こっちやで」
鈴の鳴るような声が聞こえ、木戸が振り返るとそこには桂と同じように白い耳をはやしたお公家姿のウサギが木戸の時計のチェーンを鳴らしていた。
「ふぅん、あの子の持っている時計よりかは、おしゃれな感じがするわ」
「それはどうも。返していただけませんか。それは私のです。」
あの子が誰なのか木戸に関係のあることではない。木戸はまっすぐその新たに出現したウサギの前に進み、そう頼んだ。
「まぁ、そうしてあげたいのはやまやまやねんけど」
「けど?」
ウサギー西園寺が時計を差し出したので、ほっとして手を伸ばそうとした瞬間、
木戸の視界の中にあった時計と白い腕は跡形もなく消えていた。
「え?」
「桂はん、そっち行ったで」
「ほいほーい。確かに♪」
見ると西園寺の手を離れた時計はふたたび木戸の後方でにこにこ立っている桂の手に。
「ちょ、君たち・・・っ」
さすがの木戸も怒り、桂の方に向かう。しかし桂はぎりぎりまで木戸が近づいてきたのを見ると、
西園寺に向かってふたたび時計を投げ返した。
「なに、まだやるん?」
「さーねっ」
「人をからかうのもいい加減にしないか!」
木戸がそう言うと、西園寺は何処吹く風といわんばかりに首を振る。
「別に、からかっている訳やおまへん」
「じゃぁ何をしてるって言うんだい」
木戸が西園寺に近づきながら尋ねると、西園寺は興味ないと呟きつつ答える。
「政権のたらいまわし」
そこでふたたび時計は桂の手にー戻った瞬間、瞬発力にものを言わせて桂の近くに舞い戻った木戸に今度は容赦なく耳をぎゅーっとひとまとめに握られ、痛い痛いと本人が騒いでいる間に時計は無事元の持ち主のところに奪還されたのだった。
「け、桂園時代ですから」
「ヤな時代だなおい!」
涙目でにっこり宣言した桂に向かってそう突っ込みを入れると、木戸は
ようやく自分の手元に戻ってきた時計の文字盤を安心したように眺めた。
・・あれ、何だろう何かを忘れている気がする。
それにこの時計をみて焦りを覚えるのはどうしてだろう。
得体の知れない焦燥感が胸の奥にくすぶり始め、木戸は思わず考え込む。
そうだ、きっと何か今の時間に関することで忘れていることがあるはずだ。
よく考えてみよう、きっと何かの・・約束?
あまり良くない約束だった気がする。何だろう。
私の中で良くない約束。
今日はもう会議はなかったはずだし、ということは誰かと会う約束かな。
でも誰だろう。久しぶりに会う人とお話をするのは大好きだし・・・・
いつも会うけど会いたくない人・・・?
「しまった大久保さん!」
午前中の大議論もとい大げんかの末、口約束ではあるが夕刻にもう一度、ということになっていた。
すっかり失念していた木戸は大慌てで桂から帰り方を聞き出そうと自分の手元を見るが、なぜか自分がにぎっているのは自分のもうかたほうのそでぐちでいやまてよしかしこっちのてはいまとけいをにぎっていたはずではーーー