「木戸さん!」


 がばっとあんまり勢いよく木戸が身を起こしたため、側にじっと木戸の様子を見ていた山田も驚いて後じさりした。
 木戸は机から起き上がるとそのまま自分の腕に目を落とし、周囲を見渡し、それからぽかんとして、そうしてようやく傍らの山田に目をとめ、目をしばたかせた。

「大丈夫木戸さん?なんだか怖い顔をしていたけど・・夢の中まで大久保さんとケンカ?」
 山田がなにやら大きな本を抱えて心配そうにこちらをのぞき込んでくる。


「・・夢?」
 木戸はそこでようやくココが自分の部屋で、山田を待っている間につい眠り込んでしまったのだと認識する。
 はっと机の上においてある自分のお気に入りの時計を見ると、山田を待ち始めてからほんの少ししか時間がたっていない。

「木戸さん、お疲れなら、もう少し寝たら?」

 山田が気を遣ってくれるが、木戸はすっかり冷めた紅茶を飲み干し、いや、と答えた。
「今は・・しばらく夢は良いよ。えっと、そうだ、市が本を持ってきてくれたのだったね、確かー」
 様々なことがあった気がする。不思議な夢の記憶を遡って、山田との会話を思い出す。


「・・・不思議の国・・・・だったかな」
「そう、とてもおもしろいよ」

 にこりとする可愛い後輩の顔を少し眺め、やがて首を振る木戸。
「ごめんね市。また、今度の機会に読ませてもらえるかな」
「え・・」
「本当にごめんね、今思い出したのだけど、今日はもう一回大久保さんと議論をする予定なんだ」

 だから今からその準備をしないといけないんだよ、とほほえむと、山田は少ししょぼんとした後で、しょうがないな、と言い本を胸に抱え直す。
「木戸さんがそういうなら、僕はいつでもいいですよ」
「ごめんね市。それから、いつもありがとう」
 何が?と無邪気に聞いてくる山田に、私のことを覚えていてくれて、とは答えずに、私を元気づけてくれて、と付け足すと、木戸は強引ではあるが理路整然とした大久保の持論を思い描き、さぁそれになんて言ってやろうかと考え始めた。
 







 この明治政府が将来どうなるのかは誰にもわからないが、確実なことが二つある。

 
 一つは自分がその未来の多くを見ることは不可能であろうということ。
 もう一つは、だけれどもきっと、どうにかして未来は続いていくのであろうということ。



 そうしておこがましくも願わくば、木戸という人間の存在を覚えていてくれる人間が存在する時間が
少しでも長くありますように。








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